土地の背景から、旅先を選ぶ。
大分県のスポットを見比べる。
寺社・歴史、自然・景色、美術・文化。場所ごとの背景を読み、気になった地域をWAKABARの地図から探せます。
この資料には15件を掲載しています。紹介の原文は日本語です。
寺社・歴史
掲載5件から5件の紹介例

臼杵磨崖仏
臼杵石仏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれる磨崖仏です。誰が何のために作ったかは分かっていません。ホキ石仏第一群、第二群、山王山石仏、古園石仏の四つの群があり、2017年に二体が追加指定され、国宝の石仏は計61体となりました。
古園石仏の大日如来像だけでなく、複数の群へ目を広げてみてください。岩に直接彫られた像は、建物の中へ運び込む仏像とは違い、場所と切り離せない形で残ります。顔や体の表現を見比べながら、分かっている制作年代と、なお分からない作者や目的を分けると、問いを持って見る楽しさが生まれます。
緯度 33.09011 / 経度 131.76248 · 訪問情報は未確認
出典・写真のクレジット
Wikidata: 臼杵磨崖仏 (Q2921458) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-06-20)
- 国宝臼杵石仏 / 臼杵石仏事務所(資料取得 2026-10-11)
写真: TANAKA Juuyoh / CC BY-SA 3.0 / 写真の出典(2026-10-11)
富貴寺
富貴寺は、平安時代に宇佐神宮の大宮司の氏寺として開かれた寺とされています。国宝の富貴寺大堂には、本尊の阿弥陀如来像と、極楽浄土を表す阿弥陀浄土変相図があります。本尊は重要文化財で、建物、仏像、壁画が一つの信仰の空間を形作っています。
堂を木造建築として眺めた後、仏像と壁画がどのような世界を伝えようとしたかを考えてみてください。阿弥陀如来だけに目を向ける見方と、周囲の描かれた浄土を含めて見る見方では、同じ堂の意味が変わります。宇佐神宮に関わる寺の由緒も、地域の信仰のつながりを読む手がかりです。
緯度 33.53771944 / 経度 131.52875278 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 富貴寺 (Q3090693) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-10-07)
- 富貴寺(ふきじ) | 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト / 公益社団法人ツーリズムおおいた(資料取得 2026-10-11)
写真: JNN360 / CC BY-SA 4.0 / 写真の出典(2026-10-11)

宇佐神宮
宇佐神宮は、全国の八幡社の総本宮で、725年に建立されたと宇佐市が紹介する神宮です。現在の境内には国宝の本殿があり、約50万平方メートルの土地に、イチイガシなどの樹林や蓮池が広がります。社殿だけでなく、木々と水辺も神宮の大きな空間を作っています。
本殿の建築と、周囲の森や池を別々の尺度で眺めてみてください。宇佐神宮は中世に多くの荘園を持ち、九州に広く影響を及ぼしました。目の前の境内から、各地へつながる信仰や土地の歴史へと視点を広げると、一つの神社を地域の中だけで捉えない見方が生まれます。
緯度 33.526019 / 経度 131.374627 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 宇佐神宮 (Q715632) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-10-07)
- 宇佐神宮/宇佐市 / 宇佐市(資料取得 2026-10-11)
写真: ja:User:Sanjo / CC BY-SA 3.0 / 写真の出典(2026-10-10)

中津城
中津城では、1717年に奥平昌成が入城してから廃藩まで、奥平家が藩主を務めました。城の多くの建物は廃藩後に解体され、残った御殿も1877年に焼失しました。現在の天守は1964年、奥平家と市民の寄付によって建てられたもので、奥平家歴史資料館として使われています。
館の資料には甲冑や陣羽織などがあります。紺羅紗地の沢瀉文様の陣羽織では、紺地に白い文様という色の対比にも目を向けてみてください。城の外形と、受け継がれた衣服や道具は、同じ時代に作られたものとは限りません。新しい天守の中で古い家の資料を伝えるという、保存の仕方を考えられます。
緯度 33.606633 / 経度 131.186422 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 中津城 (Q10875792) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-07-01)
- 中津城公式ホームページ|中津城の歴史 / 中津城(奥平家歴史資料館)(資料取得 2026-10-11)
写真: Mukai / CC BY-SA 3.0 / 写真の出典(2026-10-11)

両子寺
両子寺は、国東半島の中央にある両子山の中腹に位置します。標高721mの山から谷が放射状に広がる土地で、寺は山岳修行の根本道場とされてきました。江戸期には六郷満山の総持院として、地域の寺院を統括する役割を担いました。山の形と寺の役割を重ねて読める場所です。
六郷満山は宇佐八幡の影響を受けた天台宗寺院の集まりで、神と仏を結び付ける信仰を伝えます。山の中腹という位置と、周囲の谷へ広がる寺院の関係を考えてみてください。現在も子授けや安産などの祈願が行われ、修行の山という歴史と、人々が願いを寄せる場所という姿が重なっています。
緯度 33.574 / 経度 131.60322222 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 両子寺 (Q3091228) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-10-06)
- トップ / 両子寺(資料取得 2026-10-11)
写真: Bruno Rijsman / CC BY-SA 2.0 / 写真の出典(2026-10-11)
自然・景色
掲載5件から5件の紹介例

九重"夢"大吊橋
九重“夢”大吊橋は、2006年10月30日に開業した歩行者専用の吊橋です。長さ390m、高さ173m、幅1.5mで、橋の下には鳴子川渓谷の原生林が広がります。周囲は筑後川の源流域で、橋からは震動の滝の雄滝と雌滝を望む位置にあります。
細い橋の線と、その下に広がる森を比べ、次に横に見える滝へ目を移してみてください。地面から谷を見上げる眺めとは違い、橋の高さが川と林の重なりを伝えます。遠くの三俣山や涌蓋山も含めて見ると、吊橋を単独の大きな構造物として捉える見方から、山と水の中に置かれた構造物という見方へ広がります。
緯度 33.173888888889 / 経度 131.22666666667 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 九重"夢"大吊橋 (Q11370450) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-07-25)
- 九重“夢”大吊橋公式サイト / 九重“夢”大吊橋管理センター(資料取得 2026-10-11)
写真: Si-take. at Japanese Wikipedia(しいたけ) This photo was taken with Olympus X-350 / D-575Z / C-360Z / CC BY-SA 3.0 / 写真の出典(2026-10-11)

別府地獄めぐり
別府地獄めぐりは、地中から噴き出す熱湯や熱泥、噴気を眺める七つの地獄を巡るものです。海地獄はコバルトブルーの湯で、温度は98度。血の池地獄は酸化鉄を含み、噴気まで赤く見えると紹介されています。同じ高温の源泉でも、水や泥の色と噴き出し方が異なります。
海地獄、血の池地獄、龍巻地獄、白池地獄は国の名勝に指定されています。鮮やかな色だけを写真に収めるより、水面、泥、湯気を分けて観察してみてください。「地獄」という同じ名の下に、地下の熱が地表へ現れる異なる姿があります。湯に入る温泉とは別の、見るための場所です。
緯度 33.31611111 / 経度 131.46888889 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 別府地獄めぐり (Q5709027) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-08-07)
- 別府地獄めぐり公式サイト(別府地獄組合) / 別府地獄組合(資料取得 2026-10-11)

耶馬渓
耶馬渓は、山国川が溶岩台地を深く浸食してできた、奇岩と渓谷の広がる地域です。本耶馬渓、深耶馬溪、裏耶馬溪などに分かれ、一か所の谷だけを指すものではありません。春の新緑や秋の紅葉は、岩の輪郭と重なり、季節によって景色の色を変えます。
岩を一つずつ形で捉えた後、谷を刻む川の流れへ視点を広げてみてください。山国川は英彦山を源とし、山移川や跡田川などを合わせて豊前海へ注ぎます。山の岩、森、下流へ続く水をつなげて考えると、奇岩を珍しい形として楽しむだけでなく、土地が削られてきた過程にも目が向きます。
緯度 33.44055556 / 経度 131.14111111 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 耶馬渓 (Q868686) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2024-09-02)
- 【子ども向け】中津市の自然環境 | 大分県中津市 / 中津市(資料取得 2026-10-11)
写真: そらみみ / CC BY-SA 4.0 / 写真の出典(2026-10-11)

原尻の滝
原尻の滝は、田園地帯の中に現れる幅約120mの滝です。約9万年前、阿蘇山の大規模な噴火による火砕流が流れ込み、冷えて固まった岩が土地を作ったと説明されています。岩には柱状節理という割れ目があり、縦に割れて崩れることで、滝の形ができたと考えられています。
周りの田畑の平らな広がりと、水が落ちる縁の輪郭を見比べてみてください。大きな落差だけを探すより、岩の割れ方と水の流れを合わせて見ると、遠い火山の活動が今の田園に残る関係を考えられます。滝の前には吊橋もあり、広い水の面と、土地が急に切れ落ちる場所を別の角度で捉える手がかりになります。
緯度 32.963889 / 経度 131.451111 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 原尻の滝 (Q3127241) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2025-06-30)
- 原尻(はらじり)の滝 ~祖母・傾・大崩ユネスコエコパークの見どころ~ | 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト / 公益社団法人ツーリズムおおいた(資料取得 2026-10-11)

金鱗湖
金鱗湖は、由布岳の下にある池を意味する「岳ん下ん池」と呼ばれていた湖です。1884年、毛利空桑が夕日を受けて金色に輝く魚の鱗を見て名付けたと伝えられます。湖畔には散策路があり、水面だけでなく、泳ぐ魚や水鳥にも目を向けられます。
名前の由来を手がかりに、光が水面や生きものの見え方をどう変えるか眺めてみてください。秋から冬の早朝には朝霧に包まれることもあります。夕日の名付けの話と、朝の霧の景色を分けて考えると、一枚の代表的な写真だけでは捉えられない、季節と時間による湖の違いに関心が向きます。
緯度 33.266666666667 / 経度 131.36913888889 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 金鱗湖 (Q11648024) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-05-12)
- 金鱗湖 | 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト / 公益社団法人ツーリズムおおいた(資料取得 2026-10-11)
写真: Tzu-hsun, Hsu / CC BY-SA 4.0 / 写真の出典(2026-10-11)
美術・文化
掲載5件から5件の紹介例

大分市美術館
大分市美術館は、上野丘子どものもり公園にある館です。四つのコレクション展示室を設け、日本画、近世絵画、洋画、工芸と、分野を分けて紹介しています。福田平八郎や高山辰雄の日本画、田能村竹田の文人画、生野祥雲斎の竹工芸など、地域に関わる異なる表現を扱います。
絵を平面として眺める見方と、編まれた竹を立体として眺める見方を切り替えてみてください。同じ地域の文化でも、紙や絵具、竹などの材料と作り方で姿が変わります。自然と芸術を体験するチャイルドハウスもあり、公園の環境と作品の素材を結び付けて考える入口になる美術館です。
緯度 33.22341667 / 経度 131.60202778 · 訪問情報は未確認
出典・写真のクレジット
Wikidata: 大分市美術館 (Q11432755) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-04-21)
- 大分市美術館/大分市美術館の概要をご案内します / 大分市(資料取得 2026-10-11)
写真: 大分帰省中 / CC BY-SA 3.0 / 写真の出典(2026-10-11)

大分県立美術館
大分県立美術館の1階は、外からも中が見えるガラス張りです。無料で利用できる2層吹き抜けのアトリウムは、可動式の壁で展示室と区切ることも、一体に使うこともできます。カフェとショップの配置も変えられ、展示に合わせて空間そのものを組み替える建築です。
1階の「ユーラシアの庭」には、マルセル・ワンダースと須藤玲子の作品があります。まず街と館の境目を眺め、次に作品と建築が接する場所へ目を移してみてください。部屋を固定した箱として見るか、人の集まり方に合わせて変わる場所として見るかで、美術館の見え方が広がります。
緯度 33.23947222 / 経度 131.60138889 · 訪問情報は未確認
出典・写真のクレジット
Wikidata: 大分県立美術館 (Q11432891) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2025-11-28)
- 建築について | OPAMについて | 大分県立美術館(OPAM) / 大分県立美術館(資料取得 2026-10-11)
写真: 大分帰省中 / CC BY-SA 4.0 / 写真の出典(2026-10-10)
大分県立歴史博物館
大分県立歴史博物館は、1981年開館の宇佐風土記の丘歴史民俗資料館を前身とし、1998年に改名して展示を刷新した館です。史跡公園「宇佐風土記の丘」にあり、文化財の研究と保護も担います。館内には富貴寺大堂の実物大模型があり、創建当初の姿を再現した空間を紹介しています。
模型を現存する堂そのものと分け、創建時の姿を伝える仕事へ目を向けてみてください。2026年7月の展示替え案内では、宇佐八幡のコーナーに蒙古襲来絵詞の複製を紹介しています。原資料を保存することと、形を複製で伝えることの役割を比べると、博物館が歴史を見せるための選択にも関心が向きます。
緯度 33.5425 / 経度 131.365 · 訪問情報は未確認
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Wikidata: 大分県立歴史博物館 (Q3329680) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2026-03-21)
- 当施設について - 大分県ホームページ / 大分県立歴史博物館(資料取得 2026-10-11)
写真: Twilight2640 / CC BY-SA 3.0 / 写真の出典(2026-10-11)

大分香りの博物館
大分香りの博物館は、別府大学の創立100周年事業として、2007年11月29日に開館しました。香油瓶や香水瓶、香炉、蒸留器などを通して、香りを使い、作り、収める歴史を紹介します。香水のケースでは色と形で品々を分類し、液体を入れる容器の表現にも目を向けられます。
ロココやアールヌーヴォーの香水瓶を、香りの入れ物として見るか、造形作品として見るかで、楽しみ方が変わります。17種類の香りを組み合わせる調香体験は予約制です。見る展示と、自分で香りを選ぶ体験を重ねると、嗅覚と形の関係を考えられます。アロマルームは現在休止中です。
緯度 33.312 / 経度 131.48880555555556 · 訪問情報は未確認
出典・写真のクレジット
Wikidata: 大分香りの博物館 (Q97495956) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2025-12-05)
- 概要と沿革 - 大分香りの博物館 / 大分香りの博物館(資料取得 2026-10-11)
別府市美術館
別府市美術館は、野口原の旧ニューライフプラザの1・2階にあり、美術と民俗資料の展示空間を備えています。2026年9月12日から10月25日の企画展「赤銅御殿と白蓮」では、ホテル赤銅御殿の白蓮の間に掛けられていた美人画や、白蓮直筆の書、関連品を紹介しています。
かつてホテルの部屋に置かれた絵や書が、美術館へ移った時、見るための文脈はどう変わるでしょうか。作品の形だけでなく、どこに置かれ、誰と結び付けて伝えられるかを考えてみてください。美術と民俗資料を扱う館の中で、別府の建物や人の記憶を、残された品々から読み直す見方ができます。
緯度 33.2842209 / 経度 131.4875078 · 訪問情報は未確認
出典・写真のクレジット
Wikidata: 別府市美術館 (Q24874639) / Wikidata contributors / CC0 1.0(資料時点 2024-09-02)
- 別府市美術館|別府市 / 別府市(資料取得 2026-10-11)